四季の1つ、春

四季の1つ、春

日本人にとって最も思い入れのある季節

この原稿を書いているのは2014年9月も半ばに差し掛かった頃となっている、そんな時期ならそろそろ秋の話をしても良いと思うのだが、ここでは今から最低でも半年以上は待たないと来ない季節、『春』について話をしていこうと思う。日本人にとって春ほど感慨深い季節はないと、個人的に分析している。3月と4月における年の節目に見られる出会いと別れもそうだが、何より季節特有とも言える味が各地に栄え渡るからだ。もはや言葉にしなくても分かると思うが、桜の花は日本全国共通して咲き乱れる季節となっている。中には自宅から見える桜の花びらが庭先に舞い散るという人もいるだろう、その様子は散っていく様を見ると儚く感じるも、白昼夢のように巻き起こる幻想的な風景に見蕩れてしまう、なんて事をしている人もいるだろう。今はまだ残暑残る季節となっているので少々季節感から外れる話となっているが、脳裏に焼き付けられている光景は誰も忘れることはない。

そんな春の情緒溢れる思いを表現する方法を芸術面で昇華しようとする人も多い、中でも代表的なのは歌だ。春をテーマにした歌は数多く見られるが、歌は世代を、年代を超えて親しまれるものだ。今から30年以上前の曲でも、これを聞いていると春なんだと実感する10代がいてもおかしい話ではない。もちろん世代に共通したテーマソングは存在しているが、時代に関係なく春を代表する歌を楽しめる喜びを噛み締めるのは悪くない。

春を楽しもうとするなら行事は山ほど存在しているが、現在では残念ながらイベントそのものは既に開かれなくなってしまったとある音楽祭がある事をご存知だろうか。このイベントでは徹底的に春を楽しむための音楽イベントとして開催される『スプリングフィールズ』というものがある。このイベントは夏に開催される夏フェスの春版野外フェスとなっており、毎年多くの歌手が集って春という一年の始まりを憂いながらも、黎明となる新しい年を祝福しながら新しい気持ちで過ごして行こうと、そんな深い思いが込められていたことだろう。

筆者は野外フェスにはあまり足を運ばないのだが、この音楽祭だけは一度だけ訪れたことがある。この時に思ったのはテーマとして掲げられている『新しい季節に、新しい気持ちで、新しい音楽と共に』、という言葉を良く表している。出場している歌手が得意としている音楽こそジャンルや得意とする分野は異なっていても、ただ1つ共通しているのは音楽を愛するという気持ちは何を差し置いても変わりないモノとして、このステージからこれまでにない全く新しい音楽を作り出そうというのが、このフェスの意気込みとなっている。

1年に一度だけの開催となっているこのフェス、音楽好きにとっては夏フェスと同様に毎年楽しみにしていたという人もいる中で、突然の活動休止は大変残念なところだ。諸事情があるにしても、いつかまた春フェスたるスプリングフィールズが復活することを期待したいところだ。


そもそもどうしてここまで春に対してこだわっているのか

春フェスの新しい季節に新しい音楽を、そんな気概は大変素晴らしい。春はそれまでの自分よりも一歩先に進んだ状態になる、成長していても、いなくてもだ。年を経る事は人間にとっても1つ年を重ね始めていることを意味している。春生まれの人は特にそうだが、それ以外の季節が誕生月という人にとっても、3月までの自分とは違う、4月からの新しい自分になる。その切替は人によりけりだが、春を起点としている人は割と多いはずだ。だからこそスプリングフィールズがフェスのテーマとして掲げている新しい季節に、新しい音楽をという言葉はあながち間違っていない。これまでの自分とは違う自分になることを意味しており、そして成長していかなければならないと自覚する瞬間でもあるはずだ。ただ気張りすぎると翌月には目標を達成した疲労から五月病なるものに冒されてしまう、なんてこともあるかもしれないので緩急を付ける事が肝心となる。

そんな終わりと始まりの両方を経験することが出来る季節に咲き誇る花といえば、桜だ。桜といえば淡い桃色の花びらをつけた木の枝がとても印象的な、日本固有の植物となっている。今こうして考えてみると、どうして桜というものがこんなにも日本の伝統とも言うべき存在へと返り咲いたのか、というのを考えた事は有るだろうか。そこでちょっと、日本の春といえばもはや代名詞にもなっている桜について少し考えてみようと思う。

桜の絶景に誘われて

日本人が桜を愛でるようになったのは明治期から本格化した、無論それ以前から春にだけその蕾を開花させる花の存在感はあらゆる芸術家達の創作意欲を刺激してきた。日本人にとって毎年桜が舞い散る季節になれば誰でも陽気・愉快な感情になって踊り狂っていたことだろう。それは幕府においてもそうだ、その季節が到来すればまずは花見とばかりに芸を嗜む者も多く見られるようになる。日本人にとってそれだけ桜は春と深い関係を持った季節として見られていたが、それはあくまで一時期の気の迷いとして見る事も出来る。散ってしまえば後は陰謀の連鎖を引き起こしていたと考えると、桜に対して感慨深い感情を持っていたのは花びらをつけていた時だけのことだとも、そんな風に分析することも出来る。

だからこそ、江戸という300年近い歴史を積み重ねていた時代が終焉を迎え、新たな日本を目指すために西欧諸国の文化を参考にして日本も進化せんと躍起になった。日本が鎖国をしていたことで、井の中の蛙だった事は証明され、ますます遅れを取ってはいけないとして活動をすることになるが、中でも特にこれまでには見られなかった傾向として文化施設のインフラ基盤を築こうとする動きだ。芸術としての文化は確かに日本にも存在しているが、それを保護するという動きは杞憂だった。だからこそ、日本にしかない文化を守るという意味も込めて活動が進められるのだが、財政そのものが困窮していたため、ある程度のインフラが整うまでに1世紀近い時間を要することになる。そしてそんな基盤の中心点として、桜の名所としても知られている上野を拠点とした。

上野は徳川幕府において桜の名所として名高い地域となっており、それは明治期においても同様に文化的遺産とするべき花がその根を下ろしている地にこそ、文化的インフラを形成することで世界に負けない日本を作り上げようとする、そんな意気込みが込められていたのかもしれない。徳川、そして明治政府から代々受け継がれてきたその名所は現在でも世界的に見て珍しい文化施設を集積した地域として知られており、多くの観光客を集めているという。人からすれば上野に行くことも春の恒例行事として見れるかもしれない。

上野で開催されている音楽祭

そんな桜の名所として知られている上野でも、春をテーマにした音楽祭が開催されている。テーマとして掲げられているのは春を連想するには最適となっている桜を音楽と共に活用して、毎年盛り上がりを見せている。この音楽祭のことを『東京・春・音楽祭』というモノで、先ほどのスプリングフィールズとは少々趣は違って、伝統ある格式あるクラシックを始めとした音楽を中心に展開している。そのため人によってはクラシックなんて聴いても分からない人もいるかもしれないが、時に聴き入ってみると音楽の深みを味わうことが出来ると理解出来る。

そんな音楽祭は今から15年前から始まっているという、それなりに歴史を持っている。初期の頃こそ、春の催し物として開催されていたものだが、その後も評価を得ていきいつしか上野周辺にある音大までを巻き込んだイベントとして扱われるようになる。その日程も3月の中旬から4月中旬頃まで会場は異なるが、音楽祭の一種として様々な音が奏でられている。知っている人は知っている音楽祭とも言われており、9年目に開催された音楽祭ではなんと4万人も訪れるというイベントになった。2014年度は開催されなかったが、もしも機会があれば一度は訪れてみたい音楽祭の1つとして、普段聞きなれないクラシックを楽しんでみるのもいいだろう。


旧暦上、現代の春は『夏』になる

これは誰もが勉強していれば知ることになることだが、現在の春といえば『4月』となっているがかつての日本では春は現在で言うところの真冬真っ盛りの『1月』が、本来の春となっている。そのため旧暦において9月はすでに秋の終わり頃となっている。これが年々年月を経ることで本来の1月からずれていってしまい、やがて現在の4月が現代における春として固定されるようになった。ただその春もまた、近年稀に見る異常気象によって桜の開花が明らかに時期から大分離れたところで宣言されることもある。春の始まりは最近では3月下旬頃からがピークとなっており、それから入学式などのイベントが開始される時期でもある4月上旬までが桜のピークとなっている。そうなると当然、桜は散ってしまって薄桃色から深緑へと色彩が変化していることもある。

だからこそ、中には毎年新しい時間がはじまると感じている人にとって、桜は出来るなら散る前に開花してもらいたいと思っている人は決して少なくないだろう。

日本ほど、四季を意識している国もない

日本では四季、季節の移り変わりを大事にしている人が多くいる。筆者も確かにそうした点を無意識に行っている部分はあるだろう、ある季節になれば気持ちも穏やかになる、もしくは何かしたいと躍動するような、そんな思いに駆られる人もいるだろう。その中でもようやくといって待ち遠しかった季節の代名詞は、春だ。長く継続していた冬の時期が明ける、外で快活に過ごすにしても春になればすっきりと動きやすくなるものだ。

春だけに限らないが、日本人はそうした意味で四季を大事にしている部分は非常にある。それは海外に住んでいる人々も思っているところであり、日本人の特徴なのかもしれない。ただここで勘違いしてはいけないのが、日本にだけ四季が存在しているわけではないことを追記しておく。意外と思われがちだったりするが、外国にも四季は存在している。ただ日本は緯度の関係からはっきりと季節の変わり目を体感することが出来る、ある意味特殊な土地柄だと見るべきなのかもしれない。異端ではないが、異常と見るべきところだろう。日本に住んでいれば四季は当然のように経験することが出来るが、他の国ではそうはいかないこともある。